「……で。それを見計らって、冴利を唆し、計画を実行に移した、ってわけ?」
「種光って男が伊妻に一番近い人間のようだが、たぶん彼は『雨』のなかで地位が高いものだ。その彼がきっと、天神の娘をこの地へ呼び寄せるために、古都律華の川津家を利用したんだ」天神の娘を古都律華に殺すよう仕向けた伊妻の残党は、死なない程度に彼女を痛めつけ、自分たちのものにしようとしている。もしかしたら心だけ殺して器だけ奪おうとでもしていたのか。
「でもそれって不自然じゃなくて? 天神の娘って噂されてる三上桜……空我桜桃だっけ、彼女がこの大陸に逃がされた経緯には、川津湾が関わってるわけでしょう? 川津が殺そうとしているのにどうして」
「彼がホンモノの篁だよ、かすみ」かすみと名を呼ばれ、少女はハッとする。
「シキ、ここでのあたいはあられよ」
「安心しな。誰も聞いてない。ここで姉のフリをする必要もない」 「だけど」 「さっきの、川津が殺そうとしているのにどうして川津が逃がしたのかって話を思い出せ。かすみが僕にしていることと同じなんだよ」「……一族内で意見が割れている?」
「まあそういうことだな。たぶん、天神の娘を殺したら愛する息子に皇位を与えられると信じ込んでいる冴利が空我桜桃を殺すよう話を仕向けたのは当主の川津蒔子の方だ。娘婿の湾はそれ以前に帝の息子だ。おそらく皇一族の血統を川津の家に取り入れようとして失敗したんだろう」
「彼の妻であった米子が死んだからね」 「そう、婿入り先の妻に先立たれた彼は皇一族のもとに戻ることも許されず、だからといって川津の色に染まることもできずにいた。母君と途方に暮れていたところを助けたのが空我樹太朗だよ」「義妹の姉婿にあたる方ね。でも彼が愛妾にしたのが天神の娘だったから、混乱がつづいているんでしょう?」
「樹太朗と湾が懇意になれた理由のひとつは川津との繋がりだが、もうひとつが北海大陸という土地の繋がりだ。樹太朗の愛妾であるセツも、湾の母君もカイムの民だ。ふたりが知りあえば話に花も咲く。たぶん、そこで湾はセツから頼まれたんじゃないかな、娘を頼む、なんて…
カイムの民のなかには「ふたつ名」を持っている人間もいる。ひとつの名前にふたつの意味を込めて名付けられたもので、その名を使い分けることで潜在能力を突出させることができるという古くからのまじないに近いものだ。いまでは殆ど廃れてしまったが、『雪』の部族の一部ではその名残が見受けられる。寒河江雁が狩という名を持ち狩猟に秀でた能力を開花させていたのは校内でも有名な話だ。逆井一族の多くもふたつ名を使い分けている。「別におかしいことはないと思うが」 「ふたつならまだいいのよ。あんたの場合、ふたつ名じゃなくてよっつ名でしょうが!」 呆れたようにかすみは四季の名を唱える。 ひとつは、四つの季節という意味でのシキ。 もうひとつが、逆さ斎としての賢者であれという意味での識(シキ)。 それから数多の神々と渡り合う上で必要とされる能力、式(シキ)。 そして。「三つでやめておけ。四つ目を知る人間はその運命を狂わせる」 「もうあなたに関わったせいで充分狂ってるわよ。このちからで帝都を覗くなんて考えたこともなかったのに」 ぷいっと顔を背けてかすみは毒づく。四季は嬉しそうに頷く。「だけど、そうしない限り君はあの家に縛られたままだったぞ? 古都律華御三家の古参、鬼造家の娘で唯一の『雨』の能力者。鬼造かすみさん?」 鬼造かすみ。女学校で生活しているみぞれとあられ、ふたりの姉と異なり、まだ十三歳の彼女はその存在を公に知られていない。一族は彼女を養ってはいるがとある事情からふたりの姉と異なり別の場所で生活している。 かすみは次女のあられの身代わりになることがあった。彼女には『雪』の恋人がいて、ときどきこっそり逢いに行くためにかすみと入れ替わっていたのだ。しかし、四季がそれを見抜いたことから、あられとかすみは長女のみぞれに黙って鬼造を裏切らざるおえない状況になってしまったのである。 古都律華の御三家とはいえ没落の途を辿っている鬼造家は『雨』の流れも受け入れたが、彼らを支配するまでには至っていない。天女伝説に関しても真面目に受け止めず『雨』の部族の言う通り神嫁となる生贄の少女を見繕う
「……で。それを見計らって、冴利を唆し、計画を実行に移した、ってわけ?」 「種光って男が伊妻に一番近い人間のようだが、たぶん彼は『雨』のなかで地位が高いものだ。その彼がきっと、天神の娘をこの地へ呼び寄せるために、古都律華の川津家を利用したんだ」 天神の娘を古都律華に殺すよう仕向けた伊妻の残党は、死なない程度に彼女を痛めつけ、自分たちのものにしようとしている。もしかしたら心だけ殺して器だけ奪おうとでもしていたのか。「でもそれって不自然じゃなくて? 天神の娘って噂されてる三上桜……空我桜桃だっけ、彼女がこの大陸に逃がされた経緯には、川津湾が関わってるわけでしょう? 川津が殺そうとしているのにどうして」 「彼がホンモノの篁だよ、かすみ」 かすみと名を呼ばれ、少女はハッとする。「シキ、ここでのあたいはあられよ」 「安心しな。誰も聞いてない。ここで姉のフリをする必要もない」 「だけど」 「さっきの、川津が殺そうとしているのにどうして川津が逃がしたのかって話を思い出せ。かすみが僕にしていることと同じなんだよ」「……一族内で意見が割れている?」「まあそういうことだな。たぶん、天神の娘を殺したら愛する息子に皇位を与えられると信じ込んでいる冴利が空我桜桃を殺すよう話を仕向けたのは当主の川津蒔子の方だ。娘婿の湾はそれ以前に帝の息子だ。おそらく皇一族の血統を川津の家に取り入れようとして失敗したんだろう」 「彼の妻であった米子が死んだからね」 「そう、婿入り先の妻に先立たれた彼は皇一族のもとに戻ることも許されず、だからといって川津の色に染まることもできずにいた。母君と途方に暮れていたところを助けたのが空我樹太朗だよ」「義妹の姉婿にあたる方ね。でも彼が愛妾にしたのが天神の娘だったから、混乱がつづいているんでしょう?」「樹太朗と湾が懇意になれた理由のひとつは川津との繋がりだが、もうひとつが北海大陸という土地の繋がりだ。樹太朗の愛妾であるセツも、湾の母君もカイムの民だ。ふたりが知りあえば話に花も咲く。たぶん、そこで湾はセツから頼まれたんじゃないかな、娘を頼む、なんて…
四季は少女の言葉をひとつひとつ確認しながら、結論を紡ぎ出す。「――ぜんぶ、繋がっていたんだ! 空我伯爵邸の襲撃がはじまりじゃない。すべてのはじまりは」 ――名治四年初冬に起きた伊妻の内乱だ。 この北海大陸で起きた謀反が引き金となって、カイムの民と共存していた神々はすこしずつ狂っていってしまったのだ。 カイムの巫女姫と呼ばれたカシケキクの少女、契と、帝都からやってきた将軍、空我樹太朗が協力し合ったことで乱は年内のうちに制圧された。たしかそのとき敵軍を率いていたのが、伊妻霜一(そういち)……ルヤンペアッテの血を引いた男だ。 霜一は樹太朗によって首を刎ねられ即死している。そして、皇一族に刃を向けた伊妻家は取り潰され、女子供も始祖神に逆らったとしてすべて処刑された。その翌年、潤蕊の夏は豪雨に見舞われた。作物は流され疫病が蔓延し多くのカイムの民が死んだ。民の間では伊妻一族が怨霊となって潤蕊を襲ったのだと畏怖し、彼らと懇意にしていた『雨(ルヤンペアッテ)』の部族を敬うようになった。だが、その年から徐々に冬から春へ変わっていく動きが、緩慢になってゆく。 禁忌の一族として伊妻の名は姿を消したが、彼らは名を変え『雨』とともにこの地に生きている。そう考えれば、辻褄が合う。「伊妻の残党。彼が言っていたのは、このことだったのか……」 「シキ?」 「だとすれば、天神の娘を狙うのも頷ける。鬼造が天神の娘を積極的に消そうとしない理由もそこにあったんだ」 古都律華の御三家、伊妻、川津、鬼造。伊妻の金魚の糞ともいえた鬼造は、伊妻に生き残りがいたことを皇一族に黙って容認していたことになる。伊妻が天神の娘を殺さず手に入れて皇一族に対抗するための武器とすることも、知らされていたのだろう。「鬼造当主は金の亡者だ。権力よりも金を選ぶ彼なら、皇一族よりも多くの金を積んで自分たちを保護するよう依頼した伊妻を選ぶに決まっている」 「じゃあ、そのお金の出所は?」「この女学校そのものだ」 もともとこの潤蕊は『雨』の土地だった。だが、伊妻はその土地に住むルヤンペアッテと婚姻を繰り返し
「おひとよし」 「なんだ、起きていたのか」 四季は寝台の上で横になったまま気だるそうに口を開く幼い少女へ顔を向ける。いつもなら桂也乃が使っている寝台だが、彼女のいない今だからあえて入り浸っているようだ。「それで、どう思った?」 「帝都のごたごたは興味ないんじゃなかったっけ?」 くすくす笑いながら、ボレロ姿の少女は四季の方へ身体を傾ける。「状況が変わったんだ」 「藤諏訪麗が帝都清華の裏切り者で、その黒幕が古都律華の水嶌家出身でいまは神皇帝の正妃の座にのぼりつめている、冴利と、きみが教えてくれた種光という名の男だってことがわかっただけで充分じゃない?」 少女は種光がどこの家のものかわからないと言っていたが、古都律華の人間と考えていいだろう。「皇一族の後継者争いか」 「小環皇子はそのことについて何か言ってました? それとも何も知らされていないのかしら」 「……たぶん後者だろう。彼自身第二皇子で皇位に執着してる様子もなかったからな」 「でも、神皇帝は天神の娘を求め、逆に冴利は弑そうとしている」 「冴利は天神の娘がいなくなれば自分の息子を次期神皇帝にすることができると誰かによって信じ込まされているようだな……暗示か」 「たぶんね」 冴利は神皇帝とのあいだに生れたまだ幼い青竹を何がなんでも次期神皇にしようとしているらしい。神皇帝は冗談だと思って相手にしていないようだが、冴利はすでに古都律華と手を組み、空我伯爵邸の襲撃を命じている。 そこからすべてがはじまったと思った。「不思議に思ったんだよ。なぜ、今になって天神の娘が狙われたのか。なぜ、カイムの地へ彼女は連れ出されたのか」 「この地へ春を呼び戻すためでしょう?」 「なぜこの地に春は訪れていない?」 「神々が強引に開拓を進める人間の所業に怒って冬将軍を留まらせているから。もしくは神嫁という名の生贄を味わい邪悪なものへ変化した一部の神がのさばっているから」 「それは今年に限ったことか? 予兆ならすでにあっただろう?」 「ええ。毎年
燭台が床に叩きつけられる。キィイン、という鋭い音が、麗の耳元を通過していく。いままで激昂していた少女の顔は能面のように白くなり、四季に言われるがままに心の中を吐露していく。 「……あたくしは柚葉さまを盗んだ天神の娘が許せないだけ。そのためなら帝都清華を裏切って古都律華とともに彼女を闇に葬ってやるわ。何が天女伝説よ。単なる愛妾の娘でしょう? なんで柚葉さまはあの女を我が物にしようとするの? 異母妹である彼女と結婚することなどできないと知っているはずなのに……婚約を白紙にしたかと思えば、三上桜という少女を見張れ、なんて言うのよ。彼女が柚葉さまの異母妹だってすぐわかったわ。そうすれば柚葉さまは再びあたくしとの結婚を考えてくれるなんて言ってらしたけど……冴利さまはそんな嘘、信じるなって。いっそのこと事故にでも見せかけて殺した方があたくしにとって都合がいいでしょう? って。彼女が生きている限り、柚葉さまはあたくしを見てくれない。ならば帝都清華を裏切ってでもあたくしは彼女を殺さなくちゃいけないの、空我桜桃を」 口を閉ざした麗を見て、四季は諭すように優しく告げる。「殺すのはよくないよ。そんなことをしたら柚葉とやらは君たちの家を乗っ取ることくらい簡単にしてしまいそうだ。それに、いまの神皇さんだって、彼女を殺そうとは思っていないだろう? いくら正妃さまが彼女や前妃の皇子の死を望んでいても、それは国の主として叶えてはいけないことだからね」 なぜ四季がそのようなことを知っているのだろうと、物言わぬ人形同然になってしまった麗が疑問に思うことはなかった。 四季は隣室のふたりを思い浮かべ、苦笑する。天神の娘と始祖神の末裔たる皇子。ふたりを殺めるなど、そもそも、カイムの地に生きる神々がそれを認めないだろう。彼らは邪悪なもの、穢いものを嫌悪している。天女をめぐっての国の後継者争いや派閥同士の政権争いなどもってのほかだ。 だというのに『雨』は天女を見限り、神々との共存を放棄し始めている。神々が怒っているときけば罪のない少女を生贄にして誤魔化す始末だ。人柱を与えられ血の味を覚え邪神に堕ちた一部の神が、もっとよこせと冬将軍を留まらせているというのに……
* * * 同じ頃、四季の部屋にも訪問者が来ていた。 もう寝てしまおうと思っていた矢先に聞こえた扉を叩く音に、四季は苛立ちを隠すことなく応答する。「何か」 「ごめんなさい、こんな時間に」 鈴を鳴らしたようなか細い少女の声に、四季は困惑する。隣室のふたりではなさそうだ。 仕方なく、燭台を片手に持って、扉を開ける。蝋燭が照らしだした橙色の光の先に、ゆるやかな波を描く長髪の令嬢が四季の前にちょこんと礼儀正しく立っていた。「藤諏訪、麗」 「こんばんは、逆井四季さん。ちょっとお聞きしたいことがあって」 「お隣のふたりなら座敷牢じゃないかな」 遮るように四季は告げる。目を丸くする麗を見て、四季はそっけなく応える。「ふたりがいま隣にいないから、こっちにいるんじゃないかと推測するのは構わないが、帝都のゴタゴタに付き合わせないでくれ」 ここ数日、妙に視線を感じると思ったのは気のせいではなかったようだ。彼女は四季の傍にいた隣室のふたりを常に目で追っていた。小環は桂也乃の分も監視対象にされたんだろうなどと言って気にも留めてなかったが…… 小環が天神の娘から目を離したときに彼女が向けてきた殺意が、四季を警戒させる。「……ごめんなさい。カイムの民の方々には迷惑ばかりかけてるわね」 麗は小声で呟きながら、四季の方へ瞳を傾ける。「でも、座敷牢だなんて……何が原因で」 「そこに寒河江雁がいる。酔狂な彼女たちは処刑される前に逢いに行った。それだけのことさ」 「処刑……そう、やっぱり」 どこか夢見るような麗のとぼけた声が、四季に不信感を抱かせる。彼女がこの女学校の掟を知らないとは思えない。いや、決められた相手のもとへ嫁ぐためにこの学校に入った彼女は、嫁の貰い手がいない生徒が神嫁という人柱にされてしまうことをつい最近まで知らなかったのだろう。「それから、あのふたりをどうこうしようなんて考えない方がいい」 天神の娘に殺意を向けた少女は、四季の言葉にびくりと反応し、怒